佐倉の民俗歴史博物館の、企画展示の最終日に滑り込み。
適度に風があって涼しい日。
少しでも暑さがやわらいでからと、最終日まで待った甲斐がありました。
前回この博物館を訪れたとき、常設展示室で見た一枚の地図が印象的でした。
大陸と、大陸から弧を描くように少し引きはがされた日本。
古代において、大陸と日本の、人やモノの行き来がかなり頻繁だったということを示す地図。
さてこちらは、今回の企画展示の図録の表紙。わかりやすい。
展示の内容は主に、東北アジア3~5世紀の古代の文化圏の境界を紹介するものでした。
朝鮮半島の南端のエリアの出土品と、細部に至るまで似たものが日本各地から出土しています。
また一方で、アムール川流域、樺太、北海道にかけては、かつて同じ文化で包まれていました。
今の日本の、「呉服」の前合わせの形、もともとは騎馬民族が馬に跨りやすいよう脇をあけておく形だったとか。
グローバリゼーションは現代に始まったものではないというのは図録の巻頭、国立民族博物館長の辞。
船と馬だけで、まるで隣近所のように行き来し、文化を共有していた古代の感覚を知るだけで、何だか肩の力が抜けるような気がします。
文化の境界は曖昧でふんわりしたもの、そしてその境界線が地理的に固定したことなどなかったのです。
さて、私の興味はもっぱら服飾文化。
大陸の影響を受ける前に、このあたりの人たちは何を着ていたのでしょう。
誰も彼もがチュニック+ボトムの楽ちんスタイルで歩いていたこの夏、それがヤマト時代のコスチュームに似ていると思い始めてから、ずーっと気になっているテーマです。